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広告に見るアイデアルの歴史

 

創業時、化粧品というのは小間物として扱われていたのですが、
1900年頃より化粧品が分離独立した商品カテゴリとなりました。

 


アイデアル會は当初食事会で始まったが、その後は旅行なども開催された (1926年)

 


創業時は、白粉、口紅、髪油でスタート。そこから香水、化粧水、クリームが加わった。(1926年)

 


なんと早くも優良国産賞。資生堂が香水を発売したのは1917年のことで、1920年代はあまり力を入れていなかったのか、5種ほどしか新作が発売されていなかった時代です。他にはクラブ香水、オンリー香水、ボンネット香水など、小さな商会が競って香水を発売するという時代に入っています。

 


二十番とか百番とか番号が付いているのは、おそらくNo.5のヒットを意識してのことだったのでしょう。 (1928年)

 


上部には白バラとあるのに、下のボトルは白薔薇とあり、スズランも鈴蘭となっています。
こうした統一感のなさも、この時代の特徴です。 (1928年)

 


広告 (1928年)

 


サイクラメン、スズラン、白バラ、シープル、アモール、アンバー、フゼア、百花の精、センダン  (1929年)

 


スキンクリームなどを発売した1929年、IDEAL(アイデアル)は商標登録されました。
他社製品はコピーしても、自社名は守ります。(1929年)

 


ポマードと香油は髪をまとめるだけでなく、栄養補給という点でも優れていたのだと広告にはあります。(1930年)

 


ピオロが新作として登場したことが広告から読み取れます。それは何? (1930年)

 


広告 (1930年)

 


1932年より、ライバルとなっていくカッピーの広告が登場する。
また、この広告からパピヨンが新作として登場。 (1932年)

 


ローションと共に発売となったのはオーデンコロンたちでした。(1932年)

 


ミルダ、ジュネス、シャルマンが追加に。また、化粧品取締規則が公布され化粧品は許可制となる。(1933年)

 


翌年の広告でも「新発売」となっているのは、ご愛敬。(1934年)

 


香水、白粉、ポマード、クリーム、化粧水の5つが主力商品でした。
牛込にあった工場が手狭となり、新たな工場を建てた年。規模拡大していきます。(1935年)

 


この頃すでに香木(ウード)から香料を得ていたことに驚かされますが、ウードを使用した新作コーパルは、
模造品が溢れたことで、高橋東洋堂が警告文を掲載することになります。(1936年)

 


いつの時代も同じですよね。売れたものをコピーする人たちは今でも多い。(1936年)

 


頭髪香水というのは、その昔ふけとり香水と呼ばれていた、ヘアトニックです。頭皮を清潔にするものですね。(1937年)

 


1937年にはあまり香水の広告がなく、スキンケアがほとんどでした。
二代目社長の三四郎氏が、国に軍用機の資金提供を行ったことがニュースに。 (1937年)

 


模造品が溢れたコーパルのボトルが広告に。
この年に発売された新作ガルデニアは、初めてそのためのポスターが作られました。(1938年)

 


1939年より始まったのが第二次世界大戦です。香料の価格が値上がりし、アイデアルも値上げを決意。(1939年)

 


あれ? この当時からこのボトルが使われていたのですね。ということが広告からわかります。
とてもありがたい資料なのですが、戦争により広告が減っていきます。(1940年)

 


太平洋戦争へと突入した1941年。

 


1942年は情報自体が減ってしまいました。(1942年)

 


この広告を最後に、終戦まで広告はなくなります。牛込の本社と工場を焼失した高橋東洋堂ですが、
1945年3月より独自の販売網で販売を開始。製造量が限られることから東京市内から開始。
クリームと白粉は限界価格をしても品質を守ると誓い、製造を続ける。
そう、この年から限界価格というものがそれぞれの製品に設定されました。 (1942年)

 


化粧品届出価格というものが設定された1948年、ようやく小さな広告が登場。
戦後から、文字は右から左へという表記に変わります。(1948年)

 


1950年になると新聞も賑やかとなり、一気に復興が進んだことが感じられます。香水も大人気で各社がこぞって新製品を投入しているのですが、戦時中に輸入が出来なくなったことで、香料の価格が上がり、高砂香料の社員がヨーロッパに渡り、ノウハウを身に着けて帰国したという経緯があります。そこで、海外に頼らず国内産を楽しもうという風潮になり、
国内ブランドが次々と登場したのです。化粧品も香水も。番付表面白いですよね。(1950年)

 


1931年はスキンケアや石鹸に注力されたようで、香水に関しては販売していたものの広告はありませんでした。
この時代、ヘリオトロープやシプレは若い女性に人気で、男性にはキャラが人気だったのだそう。(1952年)

 


毎年新年には、こうした広告が見られます。
これを見るとアイデアルが全国に代理店を配置していたことがわかります。(1953年)

 


当時の貴重な記事です。ネクタイの裏側や下着に付けていたんですね。(1953年)

 


2年振りに香水の広告が登場。販売促進のために広告を出すのではなく、売れたから広告を出すのだそう。
それは、前年の売り上げによって翌年の広告費が決められていたから。(1954年)

 


モクセイソウ科のレセダとホワイトローズが新作として発売に。(1955年)

 


1956年も引き続きヘリオトロープ、シープレ、キャラが売れ筋で、黒ダリアとヴァンプが新発売に。(1956年)

 


ヴァンプと黒ダリアの広告。(1956年)

 


当時からミニボトルのような小さなサイズが大人気というか主流。
たくさん使わない日本人たちにとっては10ml程度で良かったのかもしれません。(1957年)

 


広告だけではなく、新聞の告知記事というのも大切な情報源です。
こうした記事もくまなく目を通し調べるのです。(1957年)

 


韓流女性アイドルたちのお決まりポーズは、1957年の広告に見られます。(1957年)

 


70種以上もあったんですね。この時代のカタログが残っていたらいいのに。(1958年)

 


戦後の復興の勢いを感じる広告です。急に洗練されたスタイルになりましたよね。(1958年)

 


1959年になると、ボトルも変化していきます。(1959年)

to be continued later...


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