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月の友五百番香水


<香 調> オリエンタル
<仕 様> レディース
<容 量> 7.5mlほど
<濃 度> P

トップ
不明
ミドル
ラスト



 

1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に作られた、おそらく昭和初期の香水。昭和22年になると浅草區(浅草区)が台東区になりますので、東京市であった頃のものであることは間違いないようです。(住所表記もありますし)
「電話浅草7062番」とは交換手に繋いでもらう昭和初期スタイルの電話のことで、「振替東京35085」と郵便振替の口座を意味していたようです。凄いですね、いろいろと時代が読み取れます。

1滴で百日香るというのはあまりに誇大広告過ぎるでしょうが、同じ時代に濃縮香水を発売していた会社もありましたから、軽いものではなく濃厚なものを使うことが流行していた時代なのかもしれません。肌に付けるとは限りませんから。

 


1938年の広告



香り自体はさすがに変化してしまっていると思いますが、ペッパーやクローヴの強いスパイシーな香りで、HeliotropinやCoumarin、Vanillinにセージやシダーウッドを足したような甘くパウダリーなスパイシーさで、ラストノートは少しシプレ調のクラシカルなムスクが肌に残ります。(アニマルムスクも少量入ってそうです・・・)もともとはシトラスもあったでしょうし、フローラルノートももっと前に出ていたのかもしれません。昔のそのものの香りはわかりませんが、100年近くの時を経てようやく開封されたというロマン溢れる香りです。

何故五百番だったのか、他には何番があったのかも気になりますよね。

(20/07/2011)

 

追記です。明治後期から昭和初期の記事を読んでいく中で気づいたのは、1910年代に普通のタイトルだったものが、第二次大戦後の20年代後半になると番号が付いた、という商品が増えたこと。高橋東洋堂のアイデアル香水もそうですし、石鹸の会社も番号のついた商品を発売しています。それはやはり1921年に発売されたChanelのNo.5の影響によるものなのでしょう。流行はすぐに取り入れる、マネをするというのが悪いことだと思われていない時期のことだったのですから。

 

 

また、日本粧業会さんの古い記事を読んでいて1932年の広告にこちらと同じボトルを見つけました。おそらくその辺りの年代の商品だったのでしょう。第二次大戦後にボトルを変え、更に51年には下記へと変化しています。

 

 

三日月型のボトル、昔のボトルを踏襲したボトルが2種ありますよね。タオル香水というのは今でいうおしぼり用の香り付け商品だったそうです。

(11/12/2018)

 

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