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Ideal / アイデアル




広告に見るアイデアルの歴史
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レセダ
White Rose
ホワイトローズ
Amour
アムール
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Festa
フェスタ
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リドラ
     

1893年(明治26年)10月17日、薬問屋の番頭をしていた高橋志摩五郎が、日本橋馬喰町に文房具、化粧品の小売店として高橋東洋堂として創業。当初、西洋を意識していたこと、南洋への輸出を考えていた都合上、東洋堂となったそう。また商品は理想的でなくなはならないという考えからアイデアル(理想)としたそうです。

2年後には松の梅、白梅白粉、鹿印香水などの製造を始め、東京と大阪を中心に卸問屋との取引を増やしていきました。1905年にはポマードの元祖となった平尾鉄也商店の練香油バールの製造を一手に引き受け、中国をメインとした支那貿易にも乗り出して規模を拡大していきます。大正時代には南洋望遠を開始し、1922年(大正11年)には練香油バールの製造をやめ、アイデアル化粧料を発売。関東大震災を機に国内取引の強化をし、1924年に株式会社となる。1925年よりアイデアルネットシステム(東洋堂理想網販売組織)という代理店システムを始め、全国に販売店を置いた顧客管理システムを築き、これが大成功したのです。 当時としては画期的な仕組みで、加盟代理店(卸業者)が300名、販売店はなんと6万店もあったというのです。全国を細かな地区に分け、統括本部をつくり、販売組織網を確立したのでした。これは、後に各社がマネをするようになるのですが、どのような田舎に行っても小さな化粧品店がありますよね。それはこうした販売網の名残と言えます。6万店で販売可能なルートを確立しているわけですから、大きな宣伝は必要がないわけです。

 

 

また、1926年からはアイデアル繪という特定販売店による組織を設け、会員への特別販売を行ったり、旅行を行ったりと楽しむ手法を取り入れていきます。小売店が優良顧客たちを旅行に連れていくという、ファンクラブのようなお得意接待システムと会員向けの特別販売という手法は、この後に各社がやはりマネをすることとなり、時代を反映したスタイルとなって広がります。

創設者である高橋志摩五郎は、1933年(昭和8年)68歳で亡くなるまで、東京化粧品製造連合会長を務め、日本の化粧品貿易を支えた実業家でした。その後は息子の高橋三四郎氏(1900年生まれ)が引き継いでいく。

 


広告 (1938年)

 

第二次世界大戦にて、牛込の本社と工場を焼失したものの、鉄筋の工場に建て替え、半年後の3月よりクリーム、ポマード、香水、パウダーなどの販売を再開。戦前より、販売をアイデアル会員に限っていたため、戦後も会員への販売を軸として成長を続けたそう。確実な層をつかんでいたうえに、定評もあったために特別な販売政策は行われず、広告も少なかったのです。だから、今となっては年に1回、2回の広告が情報の要。それを拾い出してまとめたのです。

 

 

戦後は精力的に香水の販売を進め、次々と発売していきます。特に海外の有名な香水がコピーされるというのは、この当時の日本では当たり前のようにされていた事実で、商品名はバラの花と同じように扱われていました。つまり、バラはどの会社が使ってもいいだろう? 花の名前なのだから・・・という論理です。黒水仙、ミツコ、エメロード、ロリガンなどは日本で様々な会社が発売していたタイトルです。特に黒水仙に関しては12社が同じタイトルで商品を発売していたことから大きな問題として取り上げられ、「黒水仙委員会」が設置され、「商標」について議論が交わされていた時代です。本当に残念で申し訳のないことですが、過去は変えられません。特に戦後は、海外からの香料の輸入がストップし、多くの会社が在庫で販売を続けるしかなくなりました。その状況を鑑みた高砂香料がヨーロッパで社員研修を行い、合成香料の製造に関するノウハウを持ち帰ったのです。そこから、流れは海外品ではなく国内品へと切り替わり、国内の香料会社が自社で製造した合成香料を使用し、たくさんのブランドが次々生まれたのです。そう、戦後は国内パフューマリーの戦国時代です。

 


広告 (1952年)

 

60年代に入った頃のブームはオーデコロンでした。万能化粧水とも呼ばれたそれは、香料が5%以下でおしぼりの香りづけに使われたり、床に撒いたり、洗面器に入れて洗顔の際にも使用されたりしたそうです。アフターシェービングとしても使われ、ハンカチ香水としても大活躍した時代を経て、70年代に入るわけですが、60年代のキーワードは「レジャー」。山や海へと出かける人たちが、アメリカ発の流行で増え、日焼け止め、サンタン系のスキンケアが増えます。その中でアイデアルが発売したのはやはりスキンケア、クリームや美容マスクでした。長く続いた石鹸ブームが下火になり、代わりに男性のシェービング関係、歯磨き関係が大ヒットし、それに伴って美容系全般が盛り上がっていくという流れです。また、1964年の東京オリンピックの影響もあってか、コティやゲラン、エスティーローダーにディオールと言ったパフューマリーやファッションフレグランスの代理店が多くなり、各社がそれぞれ輸入している商品が百貨店で次々と売れていくのです。

70年代に入ると、1961年に鐘淵紡績から分離独立したカネボウ化粧品会社、資生堂やコーセーなどが国内ブランドとして流行をけん引していきます。国内ブランドは香水だけでなくシャンプーや石鹸にも力を入れ、成長を遂げていきます。当時はお歳暮が大盛況でしたから、そうした需要に応える石鹸やシャンプーとコロンという詰め合わせがたくさん発売されていました。

アイデアルはオリンピック後の海外香水ブームに押されてスキンケアに注力し、次第に香水から離れ、化粧品事業へと舵を切っていくこととなります。70年代に国内香水ブランドが淘汰されたのです。

1980年には、孫により愛麗となり、更に1997年には株式会社コンテスと名を変えました。上記の広告にもある通り、1938年に発売されたコンテス(伯爵夫人)という意味のラインを大切にしていたからでしょう。現在は皮膚科医が推奨するドクターズコスメ事業が主となっています。これは、高度成長期の1973年頃から黒皮症と呼ばれる肌荒れの要因が化粧品の成分によるものだとされたから。戦後の高度成長期で合成洗剤の成分も問題となっていた時代背景があります。その消費者運動の中でアイデアル化粧品本舗株式会社は化粧品事業部と不動産事業部に分かれ、化粧品部門は「低刺激・無香料」といった刺激性のない商品づくりに向け、皮膚科向けの分野へと進んだのでした。その記事はこちらから。

この記事全体に使用されている広告は全て一般財団法人日本粧業会による保存記事からの引用となります。膨大な量をアップして下さった情報の提供に感謝するばかり。でも、本当に膨大過ぎてまとめるのが大変でした。(28/05/2019)

広告に見るアイデアルの歴史をまとめました。膨大な資料を数か月もチェックして拾い出した広告たちです。(06/01/2020)

 

レヴュー済みのものはタイトルにリンクあり

リドラ (1960年代)
フェスタ
(1964年)
ボレロ (1964年)
パレス (1964年) *パルファム
コンテス・パレス オーデコロン (1963年)
ヘリオトロープフラワー (1962年)
コッペリア (1961年)
オーデコロン ロザリーナ (1961年)
カドリール (1961年)
コンテスト (1961年)
オーデコロン ジャスミン (1959年) *ジャスミンテンダー
オーデコロン ライラックフラワー (1959年)
オーデコロン 夢殿(薫香) (1959年)
ゴールドブレス (1959年)
シルバーブレス (1959年)
ミツコ (1958年)
エメロード (1958年)
オーデコロン メイフラワー (1958年)
オーデコロン コンテス (1958年)
オーデコロン シープル (1958年)
オーデコロン パヒゥム (1958年)
フォレストグリーン (1958年)
アラビア詩人 (1958年)
女心 - forget me not - (1957年)
じゃこう (1957年)
アルファ・ヘリオトロープ (1957年)
アルファ・シープル (1957年)
アルファ・キャラ (1957年)
アルファ・ガーデニア (1957年)
ヴァンプ (1956年)
黒ダリア (1956年)
フラワーNo.5 (1956年)
White Rose (1955年)
Reseda (1955年) *モクセイ
ナルシス (1954年)
ヴァイオレット (1954年)
麝香 (1953年)
Amour (1953年)
メイフラワー (1953年)
キャラ (1952年)
フルール・ド・パリ (1952年)
フゼア (1950年)
ラ・フランス (1950年)
エキストラシープル (1949年)
ミュゲー (1949年)

アイデアル二千番オーデコロン (1941年) *ホワイトローズ
ガルデニア (1938年)
アイデアル六百番オーデコロン (1932年) *リリー
ローズ (1937年)
栴檀 (1937年) *センダン
ロリガン (1937年)
ジャスミン (1937年) *リニューアル
ニビラ (1937年)
コーパル (1936年)
オリガナム (1935年)
ヘリオトロープ (1935年)
リリーデール (1935年)
ローズピュール (1934年)
シープルクラシック (1934年)
パピヨン (1933年)
ミルダ (1933年)
ジュネス (1933年)
シャルマン (1933年)
アイデアル百番オーデコロン (1932年)
アイデアル二百番オーデコロン (1932年)
アイデアル三百番オーデコロン (1932年) *シープル
ピオロ (1930年)
スズラン (1929年)
白バラ (1929年)
シープル (1929年)
アンバー アイデアル八百番香水 (1928年)
サイクラメン アイデアル千百番香水 (1928年)
アモール アイデアル百番香水 (1928年)
百花の精 アイデアル十番香水 (1928年)
センダン センダン五百番香水 (1928年)

以下、1913年当時
バイオレットローズ
バイオレット
ニューモンヘー
ボアデロース
ホワイトロース
ヘリヲトロピン
チプロース
ソラック
ヲポポナークス
カシミアフラワー
ラベンダ
ムケット
アイデアル
サンタロール
ジャスミン
ジャスミンロース
ジャスミンフラワー
春風
ジョキクラブ
センダン


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